ひとりゐて魚焼きをれば魚の眼の爆ぜてこぼれぬしづかなる日よ

三國玲子『空を指す枝』(1954)

 

三國玲子全歌集の扉にある写真が好きだ。短めの髪がウエーブしていて、年齢は今の私より少し上くらいであろうか。都会的な寂しげな感じの三國玲子がいる。詩人の吉原幸子となんとなく雰囲気が似ていると思うのは私だけであろうか。吉原幸子は1932年生まれであるから、三國の方が8年年齢が上で、東京生まれは同じである。

この歌はいつごろのものだろう。昭和20年に弘前へ疎開と年譜にある。歌の前後からその頃の歌のようだ。「しづかなる日よ」と詠まれているから、戦争の影が生活に落ちているようにあまり思わない。食事のために焼いている魚の眼が爆ぜてこぼれた。そこに少しの痛々しさと、そんなことにも驚かない虚無感のようなものを感じる。

 

男の一生には恋愛はエピソードに過ぎぬかと独り帰りぬクリスマスイヴを

あげつらひし後を悲しく机に寄る嫁ぐより他に生き方はないのか

幸福は常に微かにありといへどどのみちさびし女に生れたことは

 

この第一歌集から、結婚という女の生き方について三國は何度も問いかけ、恋愛に興味を持ちつつもどこか覚めた目で自分を見ている。事実、三國が結婚したのは32歳で、当時としては随分遅い年齢でのことだったようだ。

一首目、女性には、年頃になれば、結婚=出産という図式があったが、男性には結婚の前に恋愛するというのは、一生のなかで小さなエピソードの一つかもしれないと感じている。いくつかの恋愛をしてきた男性と何か語り合ったあとなのだろうか。二首目は下句で激しく問いかけている。自分と同世代の友人が次々と嫁いで行くなか、もっと他の生き方を三國は渇望している。三首目は諦めのような一首。進学を断念したことや、年頃になると結婚を強いられる生き方、女に生れたことにより自分の人生の半分は決まったレールが敷かれている悔しさがある。

 

女子社員は呼捨にして追ひ使ふ店主の卓を朝朝清む

婚期過ぎし吾に興味をもつらしき少女の問ひは吾をたじろがす

人により縫賃差別することも手をぬくこともためらはずなる

 

会社勤めをしながら家ではミシンを踏んで洋服を仕立てている歌がいくつも詠まれている。食べるために働き、働きながら男性との格差を強く感じている。一首目、男子社員には○○君などと呼びかける店主が女性はみな呼捨てにしている、当時の社会のあり様が見えてくる。また二首目では、婚期を過ぎても(婚期という言い方も古めかしいが)結婚せずに会社勤めをしている三國に興味をもって話しかけてくる少女に、たじろいでしまっている。三首目ではだんだんと強くなっていく三國を見る。ミシンで洋服を縫製しているが、客により縫賃をかえたり手抜きをしてしまう。それも貧しい時代を女性が生き抜いて行く技である。

昭和62年8月、三國は入院していた病棟から飛び降り亡くなった。63歳であった。夫妻で病にかかり闘病中のできごとだったという。

 

消極になりて籠れるとある日に花束が春の光持ち来し

遁れやうなき真実は口惜しとも老に向ふは病に向ふ

 

七冊目の遺歌集『翡翠のひかり』は夫、中里久雄の名で編集されている。その最終章より。