燕飛ぶ空を仰ぎて立ち尽くすわれ兵たりき人を殺しき

川口常孝『川口常孝全歌集』(2010年)

 

川口常孝(1919~2001年)は、神職の長男として伊勢に生れた。日本大学法文学部国文専攻に入学、高木市之助に師事した『万葉集』を学ぶ学徒であった。1943(昭和18)年9月繰上げ卒業、11月学徒出陣。『川口常孝全歌集』(砂子屋書房)の略年譜には、「昭和十九年」の項がないのだが、「前年より満州・北支に転戦した後、四月、洛陽攻略戦中に病を得て内地送還。九州から広島陸軍病院に転送されたが、可部分院に移ったため、八月六日の直撃の被爆を免れる。さらに島根県玉造分院に転送される車中にて十五日の終戦に遭う。」と「昭和二十年」の項にある。

川口は、高校時代から短歌を作りはじめ、「槻の木」入会、戦後「まひる野」に移る。生涯に9冊の歌集があるが、そのうちの2冊が戦争歌集である。『落日』(1972年)と『兵たりき』(1992年)。共に出征から終戦までを歌う。二十年を経て同内容の歌集を出すということが、他にあるのだろうか。稀有な珍しいことだと思う。川口は、そのことを「戦争というものが、未だにわたしの生活の中で日常として存在している不変の事実」(『兵たりき』あとがき)だと言い、要は忘れることのできない重たい体験だということだ。二度歌わねばならぬほどに重いものを抱え込んだということだろう。そしてその思いは歌い尽さねばすまぬものであった。歌人としての誠実を思う。

 

第一回学徒出陣のわれらにてただ黙々と北にぞ向かう

嘔吐する大便洩らす兵もいて突撃の命待つなり壕に

殺人を正当とする戦争に一兵というわれは加担者

慰安婦の一団を常に伴ないて第一線の部隊は動く

強姦の始終をわれら見ていたり終りて兵の去りゆくさまも

遺体みな平たくなりて土に伏す砲車の列の過ぎたる後は

面貌の分からぬまでに潰されし捕虜を黄河の岸に葬る

万葉の学徒のわれが洛陽の街に向かいて砲弾を撃つ

背嚢に『芭蕉句集』を秘め持ちし君を焼くなり句集も共に

 

『兵たりき』の前半から選んだ。年譜にあるように川口は戦地で病を得て本土に送り帰される。ここでは出征から中国での戦闘の場面から引いた。かなり激越な場面が歌われている。これほどに戦場で行われた事態をあからさまに歌おうとした作は少ないのではないか。実際の戦闘体験から四十年、それだけに整理されている。しかし、その分客観的に事態の真相も見えているはずだ。戦争を知らない世代には、重要な証言と言えよう。「加担者」としての自覚。戦時の緊張感。それらの実態が了解される。

今日のこの一首の「兵たりき」の自覚と「人を殺しき」の告白は、作者にとっては歌っておかねばならぬ思いであった。

 

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