窓ちかく朝顔の苗うゑてまつ病みてゆけざる海のいろの花

上田三四二『照徑以降』(1988)

 

この夏、母に苗をもらって育てたモミジバアサガオという花を楽しんだ。葉が変わっていてモミジの葉のような形をしている。薄紫色の花が朝から昼頃までずっと咲いていてさわやかな色が何ともいえなかった。あまりにきれいなので、もし母が死んだら私はこの花を見るたびに母のことを思うのではないかと考えることもあった。母は元気でぴんぴんしとているのに、何故だろう。

さてこの歌集は、上田三四二が62歳から64歳頃の一冊であるが、癌で闘病中の様子が多く詠まれている。家の中でもやっと歩行できるような状態の歌もあり、この一首は、窓辺に花を楽しむために朝顔を植えてもらったのだろう。病んでいて遠出できず、見ることのかなわない海の色の朝顔。青色系の花というのは見ると心が穏やかになるような気がする。

 

去年(こぞ)の今日臓()るとゐきあかあかと大文字は燃ゆ大の字に燃ゆ

生かされてひと年を経ぬ送火の山焼くる火を京に仰ぎつ

 

私も今年、家族で自宅から五山送り火を見た。今年は直前まで雨が降ったが滞りなく点火された。昭和60年、三四二も京都に送り火を見ながら、ちょうど一年前の同じ日に大きな手術を受けたことを思い出している。手術を終え退院し、なんとか1年を過ごせたことを赤く燃える火にしみじみと思い返している。

 

右霊安室左リニヤック室いたはられ左にまがるいつの日までぞ

咳多き結核病棟に勤めきぬこやる癌病棟は溜息おほし

 

このような歌もある。もともと内科の医師であった三四二は病院の様子や自身の病状も細かくわかっていたのだろう。「リニヤック室」は放射線治療室のこと。反対側に曲がればそこには霊安室があることは死を常に意識していた三四二にとってさらに辛いことだっただろう。また二首目では病棟によって聞こえてくる音を表している。勤めていた結核病棟では咳の声がよくしていたことを思い出した。患者として三四二のいる癌病棟では昼夜となく溜息が聞こえてくるのだ。

 

あらくさの穂に手触れつつゆく道のうつしみの手は穂に温かし

手にむすび飲む一杯の水うまし手にむすぶゆゑうまきか水の

 

病状が安定している頃に詠まれている歌には、命があるということをシンプルに喜んでいる姿がある。二首とも自分の手を詠んでいる。あらくさの穂になにげなく触れてゆく手。触れることにより生きている身の体温を感じている。二首目は上の句も下の句も同じようなフレーズで組み立てられている。自分の手ですくって自分の口から体内に入って行く水。ただそれだけの行為に生きている瞬間の喜びを感じているのだ。