藤原俊成『千載和歌集』秋上259(1188年頃)
『伊勢物語』に深草の里の女にかかわる一段がある(123段)。例によって在原業平と思しき昔のある男の話である。「深草に住みける女を、やうやう飽きがたにや思ひけむ」、つまり深草に住む女に、だんだん飽きてきた、そこで別れようと思ったのか、次の歌を詠んだ。
年を経て住みこし里を出でていなばいとど深草野とやなりなむ
長い間住み慣れたこの里を出て行ったならば、ここはいよいよこの深草の名のとおり、草深い野となって荒れ果ててしまうだろうか。すると女は、次のように歌で答えた。
野とならば鶉となりて鳴きをらむかりにだにやは君は来ざらむ
もしここが草深い荒れた野となったら、私は鶉になって鳴いているとしましょう。そうすればあなたはほんの気まぐれにでも、私を狩りにやってきてくれるだろうから。この歌に感動した男は、女のもとから立ち去ろうと思う気持もなくなってしまった。
藤原俊成(1141~1204)の歌は、この『伊勢物語』123段を踏まえて作られている。『新古今和歌集』時代に盛んに用いられた本歌取りである。俊成は、この技法を新たに開拓した張本人だ。本歌は古歌だけではない。『伊勢物語』や『源氏物語』など物語も。
深草を舞台にして、鶉が出現する。『伊勢物語』では、男からの別れをにおわせる歌に対して、女が想像上に登場させたのが鶉であった。つまり幻想の中の鳥だ。それを俊成の歌では、秋風に荒れて寂しい深草の風景に実際に鳴かせている。
『伊勢物語』では、ハッピーエンドであったのが、この歌ではそうは思えない。鶉は、夕刻の秋風に吹かれて、寂しく鳴いている。「秋」は「飽き」である。男に飽きられた含意がある。そして「身にしみて」が効いている。
この「身にしみて」は、まず作中主体である、深草の里を訪れた人物の身にしみる。女と別れた後に、ながく訪れなかったこの地にやってきて秋風を身にしみるように感じている。さらに「身にしみて」は「鶉」自体にも掛かっているように読める。鶉も秋風を身にしみて感じている。そうするとこの鶉が、あの『伊勢物語』123段の女を想起させることになる。鶉は女の化身とも見えてくる。
そして、この歌を読んであれこれ想像をたくましくする読者にも、この秋風は身にしみて感じさせる。
表面上は、「夕方になると野辺を秋風が身にしみるように吹いてきて、鶉が鳴いている。この深草の里には」という意味だが、元になっている『伊勢物語』を併せてこの歌を鑑賞して行くと、古典の世界を引き込んでよりいっそう深い物語が広がってゆく。
深草は、現在の京都の伏見区北部、伏見稲荷大社の南西部あたりになる。伏見稲荷の参道では、鶉の丸焼きが名物になっている。和歌や物語の風雅はまた別として、人間の食欲、商魂のたくましさを、面白く思うのである。
この春、二十歳前の娘を連れて京都を訪れた。中学では東北の農業体験、定番の京都・奈良修学旅行を経験していない。ならば父が連れて行こうではないか。清水寺はもとより稲荷大社にも立ち寄った。ここでは今述べたように鶉や雀の丸焼きが名物になっている。私は小ぶりの雀が好みだが、最近では入荷がないのだと言う。野生動物に対する保護や動物への愛着が雀を食用にすることを阻んでいるらしい。鶉は養殖したものを食することができる。しかたがないので鶉の丸焼きを頼んだ。私には雀の方が美味く感じられるが、雀を知らない娘は、鶉をちぎっては頬張っていた。ジビエ料理だねと言って、伏見稲荷参道の寂びれた食堂に。たくましいものだ。