前田康子


枯れすすきドライフラワーであることに気付けり風にふわふわ揺れて

奥村晃作『造りの強い傘』(2014)

 

作者の14番目の歌集だ。この歌、すすきの原にいるのだろうか。もう終わりかけのすすきである。「枯れすすき」=「ドライフラワー」であるとふと気付いた作者がいる。「枯れすすき」というと寂しく哀れな感じがするが、「ドライフラワー」と表すと、それはまた別の洒落た部屋などに飾るものとなる。出来上がる原理は同じなのに呼び方ひとつで変わってくることをどこか楽しんでいる。

 

タバスコは五十年前と変わらざる味を保ちて瓶また同じ

 

こういう歌もちょっと驚き、ちょっとおかしい。味が変わらないというのは作者が感じていることなのか、商品的にそうなのか。「五十年」という時間の長さも面白い。さらに結句で瓶のデザインが同じことも詠む。ちなみにインターネットで見てみるとタバスコの基本的な製法は製造開始の1868年以来変わっていないという。豆知識といえば豆知識の歌だが、あの小さな瓶に込められた歴史や伝統を守って販売している人々がいるということを少し考えさせられ、温かい気持ちになる。

 

いったんは歩けずなりしわが妻が(きん)付けてひと日旅歩きせり

妻は一番値段の安い吊るし雛自分に買いぬ入った店で

 

妻と旅行に行っている二首。一首目には、足が快復した喜びがある。「筋つけて」リハビリなどを頑張った妻を思い出しているのだろう。二首目は旅の記念に妻が自分のために吊るし雛を買っている様子。「一番値段の安い」ものを選んでいる慎ましやかな妻を見つめている作者がいる。

 

白い花ほんとに白く 赤い花ほんとに赤い 球根ベゴニア

目白たち大勢で来てべつべつに梅の蜜吸う枝移りして

 

当たり前と言えば当たり前。でも言われてみるとなるほどと思う。ベゴニアの球根を植えてみたら、白い花と表示されていた球根には白い花が、赤の方からは赤い花が咲いたのだ。「ほんとに」というところ、花が開くまでは半信半疑のところがあったのかもしれない。二首目は梅に来る目白の様子を詠んでいる。「大勢で来て」「べつべつに」は集団できて、蜜を吸う時はみな移動しながら個々に吸っているところを面白がっている。花の美しさや鳥のかわいさよりも、気になるところが作者にはあってそれを淡々と詠む。持ち上げもしないし下げもしない。

 

藤棚は枯枝を棚に敷き詰めて曇天の空が透き見ゆるなり

 

冬になり葉の落ちた藤棚を詠んでいる。「葉が落ちて」とは表さず「枯枝を棚に敷き詰めて」と表すと、藤の蔓だけが絡み合っている感じがぱっと目の前に現れる。そこから透かして見える曇天。どこが絵画的であり、藤棚がいきなり視界に現れた感じがして面白い。