あまたなる死を見しひとと見ざりしひとと時の経つほど引き裂かれゆく

          梶原さい子『リアス/椿』(2014年)

 

東日本大震災から四年が経った。復興の進まない現状を思う。変わらないエネルギー政策を思う。

梶原さい子さんのご実家は、宮城県気仙沼市にある神社なのだという。自身の住む同県大崎市は海には面していないが、震災の深刻な被害と向き合い続けてきた。『リアス/椿』には、さまざまな東北の日常風景が描かれている。震災後のどの歌にも、体験した人にしか詠えない、血が滲むような痛みが感じられる。

その中から、この一首を選んだのは、「時の経つほど」が胸に刺さってくるからだ。悲しみは癒えない。ずっと抱き続けるしかないのだ。そして、大切な人を何人も亡くした体験は、他者と決して分かち合うことができないのだと思わされる。

反対に、体験しなかった人の記憶や思いは、どうしても時が経つにつれ薄れてゆく。いくら被災した人たちの心に寄り添おうとしても、そこには決して埋めることのできない溝がある。だから、「震災詠はもういいぢやない 座布団の薄きの上に言はれてをりぬ」のような状況も起こる。

体験しなかった人にも、いろいろな支援はできる。被災地を思って歌をつくることもできる。けれども、決してしてはならないことがある。それは「わかったつもり」になることではないかと思う。他者の悲しみについて「わかった」と思った瞬間に、悲しみの中にある人の心は遠くなる。

歳月が経てば経つほど「引き裂かれゆく」現実を、嚙みしめたい。

 

編集部より:梶原さい子歌集『リアス/椿』は、こちら↓

http://www.sunagoya.com/shop/products/detail.php?product_id=855