さいかち 真


少女ふたりわれの視界をふと出でてまた戻り来ぬそよぐごとくに

佐波洋子『鳥の風景』(1986年)

 今日は昼のうちずいぶん雨を降らせた上空が、西の方からだんだん晴れて来て、激しかった雨の名残りの真黒な雨雲が、大きな龍のしっぽのような奇怪なかたちを、いくつにも枝分かれさせながら、頭の上から西の方に伸ばしている。その間から透明な明るい夕光がすがすがしく広がって、見ているこちらの気持ちを明るくしてくれる。今日は一日体が重たかったのだが、それがすうっと軽くなっていくのがわかる。

低気圧と湿気だけではなくて、空の雲の間を流動している磁気のようなものの混乱も、梅雨の間の体調に影響しているのではないかと私は思うのだが、東洋では、これを気の流れというような言い方で表現してきた。私の職場は、箱根や松田断層に近いので、今日などは何となくいつも以上にみんながそわそわして天気を気にしているのがわかる。昨日は箱根の小規模噴火に伴う警戒レベルの引き上げや、小田原駅近くで新幹線の車内火災事件があって、同僚にはその停まっている車両を見た人もいたりした。それだから、よけいに夕方の晴れた空がうれしく感じられた。一日何も起こらなかったことに感謝したいのである。かばんに入れてあった歌集の中から、掲出歌を選び出したのは、そういう気持ちにぴったり合っていたからだ。

西空を見ながら乗っていた電車を降りてホームを歩いていると、幼子の「電車ばいばい、電車ばいばい」という声が不意に聞こえてきた。まるで生きていることへの贈り物のような、嬉嬉とした声であると感じられた。

わが睡る街の底ひを走りいる塩含む水に雨季の海匂う

夕茜つつむ街並望む子ら鳥のようなるまばたきをせり