四竃宇羅子『翼はあつた』(2015年)
作者は父を知らないという。若き父は、子どもが生まれる前に戦死したのである。作者の母は、どんな思いで出産に臨んだのだろう。
遺影の父は年をとらない。「二十九歳」のままである。そして夏の軍服もまた、いくら季節が巡ろうと年月がたとうと、「夏のまま」なのだ。八月が来るたびに、このような思いをかみしめる人がいることを改めて思う。
数字が三つ詠われているが、どの数も重い。「七十回目」も「八月」も。「〇周年」が過ぎ、八月が終われば、メディアも人々も忘れてしまう。けれども遺族にとっては、毎年の夏は一回きりのものであり、悲しみはその都度新しくされるのである。
四十七万の兵のひとりよ若き父フィリピンの天地あかあかと顕つ
十二歳(じふに)の春遺児代表として立ちたり靖國神社 御霊の大鏡の前
大鏡に映るわが顔知らぬ父 生れる前にあなたは逝つた
「遺児」たちは既に高齢者となり、戦争を語り継ぐことのできる世代は少なくなる一方である。作者は歌集のあとがきで、「昨今の政治情勢は戦前に逆戻りしているように見えます。子や孫を英霊などというまやかしにしてはならないと強く思います」と記す。