松村 由利子


海よりもすこし薄めの塩水に身は満たされて一滴の海

       田宮朋子『一滴の海』(2015年)

 

赤血球や白血球を除いた血漿の成分には、ナトリウムやカリウム、マグネシウムなどが含まれている。この歌で「すこし薄め」と表されているのは科学的に正しい。いま海にいる無脊椎動物の場合、体内の塩分濃度は海水とほぼ同じである。浸透圧のことを考えれば、濃度が海水より低くても高くても都合が悪い。人間を含む脊椎動物の体液が「すこし薄め」なのは、進化の過程と関係していると考えられている。私たちの祖先が棲息していた当時の海水は、現在の海よりも塩分濃度が薄かったのだ。

作者はそのことを知り、たっぷりとした満足感を味わったのではないだろうか。「満たされて」いるのは、作者の「身」ではあるが、一首を読むと心もまた、そのことに満たされたような幸福感が伝わってくる。

あとがきには、「日本海を見ながら育ちました。離れて住んで久しい今も、海は魂のふるさとです」と記されている。そう言えば、前の歌集『雪月の家』にも、こんな歌が収められている。

 

海見ればむうんと胸が熱くなるわたくしは海ひとしづくの海

 

「一滴」は、太古の海で生命が誕生したときの一滴であり、一人ひとりの人間がその三十八億年の歴史に連なる存在であることを表している。作者の幸福感を伴った「海」のリフレインが、打ち寄せる波のように読む者の心に響いてくる。