さいかち 真


あしびきの山のはたけに刈りのこす粟の素茎を見てすぎにけり

太田水穂(歌集『雲鳥』より:木村雅子編『太田水穂歌集』2015年刊所収)

 ※「素茎」に「すぐき」とルビ。

 初冬の山畑に沿う道を旅行く際の嘱目詠であるが、中世和歌のような、また芭蕉の俳句のような枯れた感じがあって、調べもよい歌である。『雲鳥』は、大正十一年刊の歌集である。この歌の前には、次の歌が抄出されている。ともに悲哀の色の濃いものである。

 

なげきありて超ゆる碓氷の峠道すゝきに寒き冬の雨ふる

 

文芸評論家の山本健吉が、近代の詩歌人の仕事は、大きく言って自然主義以前と以後とで区分することができると言ったことがあるが、その言及のなかでは、太田水穂は自然主義以前の歌人の方に入れられていた。しかし、本書の巻末に収録された太田靑丘の解説「水穂短歌の展開」を読み、そうして本書のアンソロジーをたどると、水穂の短歌が、掲出歌のある歌集『雲鳥』あたりを境に独自の歌論を確立したために、具象による主観の表現を実践することができたということがわかる。わかりやすく言うと、『雲鳥』以後の水穂の短歌は、自然主義的な要素を大きく取り込んで歌境を深化させようとしたのである。

ただしこれ以前の初期の歌集についての靑丘の記述は、大成した著者の姿をもとにして逆に振り返った書き方である。このあたりが、水穂の系譜的に整理しづらいところであり、短歌にくわしくない者にはわかりづらい部分であるということは言えると思う。しかし水穂は、明治九年生まれの人としては、新たな時代の動きに対応して、長い歌人としての生涯をよく生き抜いた。加えて芭蕉研究や和歌研究にも業績を残しており、明治の歌人らしい多力者と言うほかはない。