松村 由利子


傘の上ほどろほどろに雪こぼれ地蔵のこころにたたずむわれは

      松平盟子『愛の方舟』(2011年)

 

「ほどろほどろ」というオノマトペに魅了される。「はだら雪」「はだれ雪」というのは、はらはらとまばらに降る雪だが、「ほどろほどろ」はさらに水分が多く、日本的な湿った雪を思わせる。そこへ「地蔵」が持ってこられるのだから、何か昔話のような雰囲気が一首に漂うことになる。

「地蔵のこころ」は慈しみに満ち、焦りや憤りはない。「われ」は雪降るなか、誰かと待ち合わせているのだろうか。あるいは、ぼんやりと雪景色を眺めているのだろうか。いずれにしても、「地蔵のこころ」は平穏であたたかい。

地蔵菩薩は、子どもの守り神とされる。作者が、離婚によって幼い子どもと別れて暮らすようになって久しいことを知ると、「地蔵のこころ」が一層胸に迫る。遠くで暮らす子どもたちを思うとき、たまたま遭遇した見知らぬ人の子が何と愛らしく感じられることか。自分が産んだとか産まないとか、最早そういうことは関係ない。子どもというものはいいものだ--。

灼けつくような痛みを覚えつつ、生き別れた子を思う時期は過ぎた。歳月がその痛みを癒したということもあるだろうし、子どもがもう成長して自分の庇護を必要としない年齢になったこともあるだろう。思えば結婚も育児も、この淡雪のように何とはかないものであったか……「地蔵のこころ」を思えば思うほど、雪の降る光景が胸に沁みる。