旧姓と新姓われをつかひわけ旧姓のときのびやかにゐる

上村典子『天花』(2015年、ながらみ書房)

歌集名は「てんげ」と読む。

夫婦同姓のありかたが議論されているが、現在の日本の民法では、夫婦はどちらかの姓を名乗ることになっており、事実上、大半の夫婦は夫の姓を名乗っている。

掲出歌、「三月三日 桃の節句 「音」が届く」という詞書が付されている。この詞書によれば、作者は所属結社「音」が届いた日にこの作品を作っている。恐らく作者は旧姓で短歌を発表しており、一方、実生活、特に勤務先の学校では新姓、即ち戸籍上の夫の姓で仕事をしているようだ。結婚前から短歌を作っている女性の多くは結婚して戸籍上の姓が変わっても、短歌作品は旧制のままで発表し続ける。作品の連続性という意味では当然そうなる。歌人だけなく、女性研究者の多くも、やはり研究業績の連続性の観点から旧姓のまま研究活動を続けている人が多い。作者は、届いたばかりの雑誌の自分の作品に目をとおし、そこにのびやかな自分を発見しているのだ。ひょっとしたら、その日は職場でのびやかになれないことがあって、その落差を改めて噛みしめているのかも知れない。

作者は旧姓と新姓を使い分けていて、旧姓の時に伸びやかになると言う。新姓で仕事をする職場で作者は言うことを聞かない生徒、体面ばかり気にする管理職、自分勝手な同僚、理不尽な父兄などとど日夜奮闘しているが、旧姓で作品を発表する短歌の世界では、思い切り自分を発揮できて、のびやかになれるようだ。同じような境遇に置かれている多くの女性歌人が共感するであろう。

詞書のもう一つの言葉、「桃の節句」も意味を持っていると思う。女の子のお祭りの日であればこそ作者は女性として生きることの意味を深く考えている。この一首は、現代日本の女性。特に働く女性の気持ちを如実に物語っている。

逆流の胃酸が喉までのぼりくるふかく会議に負けにし夜は

父母の死亡時刻にととのへて時計ふたつを机辺に置きぬ