佐藤 弓生


廃仏となりてふげんは十余年いまだ御身に冥王を抱き

紺野万里『雪とラトビア*蒼のかなたに』

(2015年、短歌研究社)

 

 

紺野さんは2000年に連作「冥王[プルートー]に逢ふ―返歌」で短歌研究新人賞を受賞。返歌とは、岡井隆歌集『ウランと白鳥』の〈「ぼくに会ひに来るつもりならさう言つて。」冥王のそばが離れにくくて〉をはじめとする歌への返しという趣旨でした。

プルートーは、原子力発電の燃料となるプルトニウムの語源。掲出歌は2012年秋の作とのことです。

一昨日に引いた大口玲子さんの連作では、原発の視察がドキュメンタリータッチで綴られていました。いっぽう神話由来の語「冥王」を用いて暗示性を高める手法は、岡井さんや紺野さんが属する流派ならではでしょう。

といっても「ふげん」は暗示表現ではなく福井県の原発の名称ですが、「廃仏」が告げられるとき、施設名自体が比喩であったのだとあらためて気づくことになります。普賢菩薩という、理知の象徴であったもの。

「ふげん」は2003年に運転を終えましたが、放射性廃棄物は永く残ることを下の句が示しています。「御身」が「抱」くというとキリスト教のピエタ像、聖母の嘆きの姿も浮かんで複雑な気持ちになります。

しかし科学は嘆いていられません。原発推進から廃炉へのパラダイムシフトは避けられません。

そんな理想に短歌は寄与できないとしても、希望の後押しを。海外の詩祭でも活躍する紺野さんのことばは、大らかです。

 

 

東欧の詩に寄りそへる日本語はすこし湿つた雪かもしれぬ

お守りとして持つヨウ素錠剤のお守りであれこの先永久に