三井修


しづかなるたたかひさながら春の雪吸はるるごとく木立に降りこむ

松永智子『川の音』(平成28年、本阿弥書店)

 春先のテレビの気象解説などを見ていると、気象解説者が日本列島の周辺で「冬の寒気」と「春の暖気」が押し合いへし合いの戦いをしていると解説することがある。北の「冬の寒気」が優勢になって、南に降りてくると「寒の戻り」になり、逆に南の「春の暖気」が優勢になって北に上がってゆくと列島には温かい春が到来する。両気団がそんな押し合いへし合いを繰り返しながら、日本列島の上で徐々に「春の暖気」が「冬の寒気」を北に押しやり、本格的な春になるというものである。それらしいイラストのキャラクターが画面上で動いていたりして分かりやすい。

 そのようなことを思いながら、この作品を読んだ。「木立」はこれから枝葉を延ばしていこうとする生命の象徴、即ち、「春」の比喩とも取れよう。一方、「雪」は、「春の」とついてはいるものの、実態的には冬の名残であり、それはさしずめ「冬」の比喩であろう。つまり、ここでは春の生命感を象徴する木立に、冬の名残の雪が最後の戦いを挑んでいるように思える。そしてその戦いは音のない世界で静かに、しかし激しく展開されていて、結句の「降りこむ」という表現は、読者の中では「斬り込む」とも読まれてしまう。

 春の木立に雪が降っている光景を木立と雪の静かな「たたかひ」と見た作者の感覚は繊細で確かだと思う。嘱目詠ではありながら、心は深いところに届いており、自然への畏怖のようなものさえも感じられる。

    ひとのこゑとほくにありて讃岐の野あかあかさびし いま麦の秋

    夜のふけの鴉の声なり唐突に啼きはたとやみ闇をふかくす

    ひそやかに風すぐるおと星の夜の竹の林に入りゆきて聞く