問診の〈正しさ〉ゆゑに妊娠と出産回数さらりと問ひ来[く]

久我田鶴子『菜種梅雨』

(2016年、砂子屋書房)

 

この歌の前後に似た内容の歌はなく、くちなしの花や初蝉が出てくることから6~7月のできごとかな、くらいしか状況がわかりません。女性に特有のエピソードが、それこそ〈さらりと〉挿入されています。

〈正しさ〉という言い方には皮肉がありますが、医師個人を責めているわけではありません。でも、できれば問われたくないのでしょう。問診上の必要、そのシステムを、すこし責めたい気持ちになっています。

妊娠経験のない女性や、妊娠回数が出産回数より多い女性など、それぞれにいくらか答えにくさを感じる問いです。大人の作者はたぶん〈さらりと〉答えたのでしょうが、一首としてのこすほどには、小さな屈託をおぼえています。

妊娠・出産が女性だけでなく男女、社会全体の問題としてとらえられているなら、屈託をおぼえることなどないのですが……。

 

夢占にさづかる子とは教へ子かときをり無事を伝へ来るあり

 

一連はこの歌でしめくくられ、家庭に子どもはいないけれど教師経験があり、生徒を気にかけている作者像が端的にうかがわれる構成になっています。

 

放課後のロッカールームにうづくまり染みとなりたる少女がひとり

知り合ひのこととし破談を伝へ来しいわきのこゑが胸に沈める [「いわき」に傍点]

 

若い女性の悩みに呼応する心があります。〈染み〉が痛ましい。

〈いわき〉の人は女性とはかぎらないものの、井伏鱒二の『黒い雨』に描かれる被爆女性の破談の話を連想せずにいられません。