満席を告げつつ椅子がないことがあなたの夜の深さだろうか

平岡直子「東京に素直」(2016年)

『文学ムック たべるのがおそい』vol.1(書肆侃侃房)掲載

 

一昨日と同じ文学ムックより。短歌では平岡作品がトリです。

掲載された小説と短歌を交互に読んでいると、短歌は二人称の使用頻度が高いことにあらためて思いあたります。

日本語では日常的には案外使わない人称で(呼びかけるときは名前で呼ぶでしょう)、したがって小説でも、二人称小説でないかぎりさほど目立たない気が。

短歌は一人称つまり「私」の文芸と言われますが、短歌を好きになるかならないかは、形式面より、一人称と二人称の心理的距離が近いことを是とするか非とするかによるのかもしれません。

この歌の上の句はあるていど具体的で、ライブハウスのような会場を想像します。電車などの乗りものであれば〈椅子〉という表現というか把握が奇妙で、夢の中のことにも思えてきますが。

後半の疑問は、だれが投げかけているのでしょうか。

むろん書かれていない「私」なのですが、その私と〈あなた〉との関係は? この歌ではあいまいで、関係のない赤の他人ともとれます。

〈椅子がない〉という小さな事実が心に生む小さな空虚、それを他人と共有した一瞬に〈夜の深さ〉が見えたようだというふうに読みました。

 

あなたはあなたの脳と生きつつ地下鉄ですこし他人の肩にもたれた

 

連作タイトルに東京とあるとおり、こんな歌も都会の断片をとらえていますが、東京が好きとか嫌いとかは言っていない。ただ「東京に素直(に詠んだらこうしか言えない)」ということなのだと思います。

 

以下、他の方の連作からも一首ずつ。全体に「詩」をがんばりすぎかなあ、とも思いつつ。

 

胃のなかのことは想像したくない桃カルピスにゆれる砂肝/木下龍也「桃カルピスと砂肝」

精神の弱さを言い合いながら指す将棋に夢の日差しが混じる/堂園昌彦「ひきのばされた時間の将棋」

ふいの雨のあかるさに塩粒こぼれルカ、異邦人のための福音/服部真里子「ルカ」