三井 修


おまへにはいつぺん言ふておかねばと仏は足を組み変へたまふ

小黒世茂『やつとこどつこ』(2012年、ながらみ書房)

 仏像に向かうと、その仏像が自分に何かを語りかけているような気持になることがある。もちろん、仏のその言葉は自分の内心の反映であるのだが。

 この一首、仏像は半跏思惟像であろうか。仏像が足を組み変える訳はなく、そう見えたのもまた作者の内心の反映であろう。大体が足を組み変えるということは、何か改まったことを言う時で、特に相手に小言などを言う時はそうなってしまう。

 作者の中には何か反省すべきことがあるのであろう。それを自覚しているのだ。そのような気持ちの時に仏像に向かうと、仏像が作者の内面の声を代弁してしまう。自分の心の底の気持ちを仏に言わしめるのだ。それにしても、「おまへにはいつぺん言ふておかねば」とは、まるで自分の叔父さんに言われているうようだ。父親に言われたので素直に聞けないようなことも、叔父さんから言われると素直に聞くことがある。この言い方は、そんな時の叔父さんの言い方だと思う。また、この話し言葉がとても柔らかく、聞けないことも聞いてしまうような気がする。更に言えば、この旧仮名表記が内容の角を丸めている。新仮名だと、もっと角が立ってしまうだろう。

 作者はそのようなレトリックを十分承知しているのみならず、そもそも普通の人よりは自然や神仏などとも自由に会話ができる人のような気がする。

       軍用刀の玉鋼のみ作りしを嘆くたたら師 煤をはらひつ

       音もなく軋みはじめる長姉なりながびく電話とみじかき手紙

       ボールペンの先端カチリとひつこめて小笹(をざさ)の宿(しゆく)に一首読みをふ