三井 修


寒波襲来の予報流るる一月の晦日の夜更け母は逝きけり

小見山泉『みづのを』(2014年、みぎわ書房)

 母の死というとても重大なことを歌っているのだが、「逝きけり」とだけ極めてあっさりと表現されている。どのような死因で、どのように亡くなったのか具体的な状況は一切説明されていない。他の作品を探してもそのような作品は見当たらない。

 ただ判っているのは「寒波襲来の予報流るる一月の晦日の夜更け」であったということだけである。人の死は基本的に時期を選ぶことができないので、たまたまそのような時であったということなのだろうが、「寒波襲来」「一月晦日」「夜更け」といった言葉が、どちらかと言えば辛さ、厳しさ、寂しさを連想させる。もっと言えば、そのような状況の持つイメージが、母亡き後の作者が辿るであろう悲しみに満ちた人生を示唆しているようにも思える。

 初句字余りの作品である。初句を仮に「寒波来る」とでもすれば定型に入る作品であるが、作者は敢えて定型に仕上げなかった。作者の抑制された深い悲しみがそうしたのかとも思う。初句の堅い漢語の突出したリズムに、母を失う作者のどうしようもない悲しみが込められているのかも知れないと思う。

     日を浴びて光合成する葉のごとく皮膚の方よりよみがへりゆく

     改装工事終りたる日に母はをらず母の居場所に冬日がさして

     冬の夜の遠いいかづちを聞きながら着古しし母の寝間着で眠る