剪定の枝の香りの鉛筆を何本も盗らる 何本も削る

沼尻つた子『ウォータープルーフ』

(2016年、青磁社)

 

剪定の枝の香りの……といううたい出しは、省略はあってもなかなか風雅で、表現意識の高さを感じさせます。でも現状としては、つぎつぎ鉛筆を削るので、つねにフレッシュな匂いがするということです。

人の出入りの多い公共の場所に備えつけられた鉛筆がつぎつぎ盗まれるせいで。

鉛筆のような金銭的価値の低いものを盗んでどうするのかとも思いますが、安価なものだからこそ盗むという意識はうすく、たんに“持ってゆく”人が多いのでしょう。ビニール傘やトイレットペーパーなどと違って、ことさらに隠さなくても携行できるわけですから。

その場所(前後の歌から考えると、ハローワークに類する場所)の臨時職員である作者としては、うんざりして〈何本も〉と2回言ったのかもしれませんが、その“うんざり”感はけっして強調されません。

感情を直接述べず、人の行動の内に悲哀や皮肉を指さして見せるタイプの歌はほかにも多くあり、たとえば次の

 

履歴書を三味線として流れゆく瞽女[ごぜ]であるなり派遣社員は

 

には、なんとなく『閑吟集』の

 

人買舟は沖を漕ぐ

とても売らるる身を、ただ

静かに漕げよ船頭殿

 

も連想してしまいます。労働のほか、家族との別れから社会的事件まで題材の幅が広く、それらの不幸に流されるように見えながら、喩や修辞への執着もまたたしかに見える歌集でした。それはすなわち、生への執着です。

 

浅いカップ分厚いコップ汚しつつドリンクバーへ向かう 生きたい