三井修


もやは神はひとを裁かぬ 自動式洗浄トイレに水は渦巻く

森井マスミ『まるで世界の終りみたいな』(2015年、角川文化振興財団)

 この作品には「かつて洪水は神の裁きだつた」という詞書が付されている。旧約聖書『創世記』6章~9章の「ノアの方舟」の話を下敷きにしている。古代の大洪水にまつわる伝説や神話(洪水神話、洪水伝説)は世界中に存在するが、学者たちはそれを、ローカルな(例えば、メソポタミア周辺)レベルでの周期的な自然災害、或いは氷河が融けた当初の記憶とかで説明しようとしている。 ともかくそれは旧約聖書に取り入れられた。神は地上に増えた人々の堕落を見て、これを洪水で滅ぼすと「神の共に歩んだ正しい人」であったノア(当時500~600歳)に告げ、方舟の建設を命じた。まさに洪水は神の裁きだったのだ。

 しかし、現代、人間はまたも神を畏れないようになってしまった。人間はかつては神の領域であった宇宙に進出し、遺伝子の操作まで行いつつある。掲出歌の職は、そのようなことを言っているのであろう。そして「自動洗浄トイレ」という、確かに便利ではあるが、考えてみると実に摩訶不思議なものも作ってしまった。その激しい勢いで人間の排泄物を洗い流してしまう水、それは皮肉なことに、あのノアの方舟、即ち神の裁きを連想させる。上句で思惟を述べ、下句の具体的イメージでそれを受けている。巧みな一首である。

 災害や戦争の惨禍が地上を覆いつつある現代社会に直面している我々の空白感を感性豊かに捉えながらも、文明の在り方に対する激しい危惧を表現しているようにも思われる。

   名も知れぬ花揺れてをり詩と歌と廃れてのちの危険区域に

   世界は、もうすでに奪はれている 現実こそがぬかるんでいる

   妻は塩柱にされた塩は罰 なせ土地を覆ひつくす塩害