つけ捨てし野火の烟のあかあかと見えゆく頃ぞ山は悲しき

尾上柴舟『日記の端より』(1913年・辰文館)

 

『日記の端より』の巻頭歌である。尾上柴舟の代表歌の一つとされる。「明星」の歌風に対して、金子薫園らと叙景詩運動をおこした柴舟は、初期の浪漫主義をへて、自然主義の影響のもとに、広々とした自然を伸びやかに歌い、外気の中に思索を深めた。

 

野焼きの火が、夜になって赤く見える。暗い遠景に火の赤さをとらえている。「見えゆく頃ぞ」が、日暮れまで移ろう時間の変化を思わせる。三句「あかあかと」の調子が張っており、四句で切れ、結句の心にしみじみとしみる情感で終息する。流れに変化があり、一首の言葉つづきが美しい。感受が柔らかい。野焼きの風景は、今日ではあまり見る機会もないが、ふと立ち寄った旅の途上、このように心にしみる風景を眺めることはある。叙景は、心を叙することでもある。

 

日を経たる林檎の如き柔らかさ今日の心のこの柔らかさ

雪消えぬところどころに黒き土忘れられたる人の顔しつ

摘みさして帰りにし実の十ばかり蜜柑畑に暮れ残りたる

 

近代短歌史に、落合直文、尾上柴舟、若山牧水、前田夕暮と続く系譜がある。『日記の端より』刊行の翌年、「水甕」を創刊した柴舟は、「短歌滅私亡論」(1910年・「創作」)によってもよく知られている。短歌が、西洋文化の移植によって変動して行く時代の詩歌として、相応しいものかどうかと問うたのだった。