今井恵子


ゆるきゃらの群るるをみれば暗き世の百鬼夜行のあはれ滲める

馬場あき子『渾沌の鬱』(2016年・砂子屋書房)

 

「ゆるきゃら」は、町おこし、村おこしのイベントなどで使われる「ゆるいマスコットキャラクター」の簡略語。熊本の「くまモン」や彦根の「ひこにゃん」などがよく知られる。脱力感で心を和ませる、とぼけた味わいのキャラクターだ。同じような雰囲気を漂わせた着ぐるみが、地域振興をアピールしながらゾロゾロ歩いてゆく様を、作者は、中世の説話などに登場する「百鬼夜行」に重ねた。すると、明るく可愛く心の和むキャラクターの群が、暗くおぞましい世の中の「百鬼」に見えてくる。鬼や妖怪は、この世の表社会から排除され、またみずから離脱した者たちの謂いである。

 

「ゆるきゃら」に「百鬼夜行」が重なるのは、「今ここ」にある物事を、人間の歴史の中の一齣として見る発想があるからだ。時間的にも空間的にも、「今ここ」を大きな広がりの中で考えようという姿勢がある。それを社会意識といってもいいだろう。

 

豆の種もちて帰化せし隠元の豆の子太り信濃花豆

ほのぼのと薄やみほどけゆくなかに葡萄つみをりすべて老いびと

手を振りて「じやあね」といひて別れきぬ「また」とはとほいとほいいつの日

 

同じように、豊饒や寂寥や無惨をおもわせる「継承」や「老い」も、それは個人の体験や思いではなく、時間がもたらす不思議として捉えられている。時間は、豊饒であるとともに無惨。まことに「老い」は時間の堆積である。

 

人間の高齢化がもたらす意識変化や構造変化は直接目に見えるものではないが、わたしたちが現在を生きる大きな主題である。「老い」に何を見るかは、現代の人間の生の価値を大きく左右する。