石川啄木『一握の砂』(1910)
ちょうど100年前の発行の歌集。
葡萄色(えびいろ)、会合(あひびき)、処(ところ)、とそれぞれルビがある。
「あひびき」はデートのこと。「逢引」書くほうが情緒があり、「会合」と書くともっと乾いた感じがあるだろう。
この歌の新しさは、残ったのは記憶ではなく、手帳の記述であったというところだ。
今でも、キミに会ったあの日を覚えている、なんていう歌謡曲の甘い歌詞がありそう。
だが、啄木はこのとき、近代人としてのあわただしく過ぎてゆく日常を手帳に書き留め、それを見返す時に、自分の過ぎ去った過去を思い出すよすがとしているのだ。明治初期の感覚としてはさすがである。
いつから「手帳」というものが人々の日常に入り込んだのか。おそらく、明治以降ではないか。手帳がなければ暮らせないほどのせわしい生活になったということだろう。
「時と処」と記しているのもおもしろい。事務的であるように言いながら、そこに隠された思い出との距離を示しているようだ。具体的な月日や場所の名前が入ると、一気にその思い出が溶け出してくるようなベタベタした感じが生まれそうなところを、踏みとどまっている感じだ。
「葡萄色の」というところに情緒が残る。それもまた良し。