穂村弘『ドライ ドライ アイス』(1992年)
一字空けの前と後ろで、きれいにフレーズが対になっている。
目に浮かぶふたりの状態がそもそも対称型(喧嘩と口づけも含めて)だが、「上」と「下」の字、ともに名詞止めで「口」を含み、「座って」「下がって」は、その形に加えて促音も一つずつ。
でもこのバランス、前半の安定感に比べて、後半はなんだか揺れている感じがする。
上句は、ことばが定型のなかに乱れを見せず収まり、漢字も多い。対して下句は、全体では十四音と定型通りだけど、「ぶら下がって」が不自然に四、五句ににまたがっている。ひらがなの多い空気抵抗のさも薄そうな書き方がこの音の感じに揺らされるようだ。
「座る」と「ぶら下がる」の行為の安定度の差を出すために工夫がされているのがわかる。
一読したときは、いきなり反転する世界のダイナミックさのなかで、恋人たちのかろやかさが楽しい。逆さになっての口づけは苦しくないか、など変なことを思いながら。
でもしばらく眺めていると、この日常がもしくるんと反転したら、などと思って不安に、怖くなってくる。
その時、この「口づけ」のような救いはあるのだろうか。