大松 達知


感情の水脈(みお)たしかめて読点を加えるだけの推敲なせり

島田幸典『no news』(2002)

 

 推敲というから自分の書いたものだろうし、読点というから散文だろう。

 どんな文章なのか。論文なのかエッセイなのかによっても雰囲気は違う。だが、歌の中にも前後にもヒントはない。

 ただ、文章に「感情の水脈」が流れていると言ったところが美しい。

 読みなおせば、いくらでも加筆や修正はできるはずだ。しかし、作者はそうはしない。それは、書いた当時にはそのときの「感情」があり、その感情の流れを,そのとき生きた時間として尊重したいという思いからなのだろう。

 自分の文章に流れた感情を、時間がたった後の自分が読みなおす。考えてみればセクシーな行為である。

 島田幸典には、「感情」という語が現れる秀歌がいくかもある。

・カーソルを後退させて感情の編集なせり朝地震(ない)ののち

・感情の汐入り混じる朝餉さえ野沢菜噛めば飯欲しくなる

など。「感情」を自分と切り離された生き物のように客観的にとらえるイメージが巧い。