ぼくたちは時間を降りているのかな膝をふわふわ笑わせながら

東直子『青卵』(2001年)

 

 

山道なんかを下りつづけると、膝がカクカクとなる。
そのことを膝が笑う、という。

そこに「ふわふわ」が入ると、靄にでもつつまれたような、なかば夢のなかのような感じが漂う。

 

上句の「時間を降りている」は、どういうことだろう。時間のなかで、時間に従って、生きつづけていることだろうか。
でもそれだけでなく、「降りている」には、ゆるやかにせよ、すでに下降傾向にある世界観というものが反映されているようだ。

 

中性的でやさしい「ぼくたち」という呼び方、「かな」という軽い疑問の形、これらのことばに心地よく運ばれて一首をたどる時、何か実体のあるものがしっかりつかめる感じがするというのは(たとえそんな気がするだけであっても)、また別の世のことだったような気がする。

 

笑うのは膝だけではないのだろう。ゆるやかに下りながら、ただ「ふわふわ笑」うしかない「ぼくたち」が、ふたたび濃い人間の時間を生きることがあるのだろうか。

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