竹山妙子『さくらを仰ぐ』(なんぷう堂、2022年)
いつも通る道のかたえにアガパンサスが花を咲かせている。ろくろ首のように伸びた花茎のさきに、苞をともしたのがいつだったか。ながい時間をかけて苞がふくらみ、そのなかからたくさんの蕾いでて、やがて開いていく。
このうたの場合は「白ばら」である。蕾であったころから見ていて、それが「ながき時」をかけて、いま花を咲かせている。家の庭か、近所だろう。ともにあった時間、また折々のわたしのこころが重なってうつる。であればこそ、「ゆたかに」にこもるおもいは深い。
一首は「うす紅の」ではじまり、それが結句で「白ばら」へ至るところに意外な展開がある。この紅白の色彩の対に、時のへだたりをおもうのだし、また、それが一首そのものの膨らみにもつながっている。
ぎゅっとして蕾のころには「うす紅」であった。それが花となってひらき、さらにも紅はうすくうすくひろがり、ほとんどあるかなきかのものとなった。こうしてまったき「白ばら」の花となるわけだ。ここに「なる」ということそのものを見つめる眼差しを読めば、読みをそれるだろうか。
「うす紅の」は「うすべにの」と読めば五音の初句となるが、わたしは、はじめ「うすくれなゐの」と読んだ。「時かけてゆたかに冬の」というゆったりとした調子をたどりながら、先へ先へおくられて結句にぽっとひらく「白ばら」の花が、なんとも印象深い一首である。