絶間なく漕がれ続けてきしみ鳴る日常といふ脆きぶらんこ

富野小路禎子『吹雪の舞』(1993)

 

 日常の中のエアポケットのような風景を現出する歌だ。

 構文上は、ブランコを修飾している。読者はまづ、ブランコがキーキーと音を立てながら揺れている様子を想像する。

 

 ブランコが揺れている。それだけでひとつの詩になりやすい。

 子供が遊び、大人が遊ぶ。子供のころの思い出と現在を直結させる。体全体で重力を感じながら、この世界から文字通り浮遊する感覚をもらえる。遊具を信頼していながら、頭の片隅でもし壊れたらどうしようかと考えるかもしれない。

 

 そこに、さりげなく「日常をいふ」が挿入されている。すると、全体が「日常」に対する比喩になる。

 確かに、「日常」は、絶えずきしみ鳴っている、脆いものかもしれない。しかし、漕がれ続けるブランコのように、止まることはできないのだ。

 これほどの真理を言いながら、その短歌として読み下してみると、ひっかかる部分がない。それがかえって怖い感じもする一首だ。

 

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