夏の雲ふくれゆく空にんげんはこゑ出して泣くすべを持ちたり

都築直子『淡緑湖』(2010)

 

 悲しいことがあると、人は泣くことができる。それも声を出して。

 しかし、他の生き物はそういう泣き方をできるだろうか? 「鳴く」生き物は多い。しかし、自分の悲しみの表現として、思い切って「こゑ」をあげて「泣く」生き物は他にはいないだろう。

 (喜怒哀楽のうち、喜びや怒りを表すことはありそうだ。)

 

 夏の積乱雲がもくもくとふくれてくる。声を出して泣けば、その声はどこまでもどこまでもつきぬけて、広がってゆきそうな夏の日。この地上のだれかにその思いは伝わりそうな気配があるかもしれない。

 泣いて気持ちを晴らす、というきわめて原始的な行為でさえ、人と動物は違うのだ。

 

この歌は、

・のみどより「ああ」とこゑ出すよろこびを知らず老いたり水中の鯔(ぼら)

とつながる歌とも言える。

 一言も声を発しない生き物は多い。鯔は声を出す代わりに空中に跳ね上がるのかもしれない。

 ひるがえって、人は声を出して悲しみや喜びを表現する。そこから抜け落ちるものもあるだろう。しかし、そういう風に作られているのだ。

 他にも、声を題材にした歌として、

・茂り葉を五月の風に動かしてひとりごとばかりいふ樟の木よ

・日照雨(そばへ)ふるひかりの中のこゑとならむこゑとならむとして棕櫚は立ちたり

という歌もある。

 無生物の声や、声にならない声にも敏感に耳を傾ける作者である。

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