大松 達知


「はえぬき」の炊きたてを食む単純な喜びはいつも私を救う

三枝昻之『上弦下弦』(2010)

 

 あるテレビ番組で、死ぬ前に最後に食べたいものは何か、という質問を若手俳優たちにしていた。よくある質問である。

 寿司やハンバーグやカップラーメンなどの解答の中で、一人が「白米ですね。」と言って笑いを誘っていた。

 しかし、もし、正解があるならば、それが正解ではないか。

 

 われわれ日本人にとって、白米という存在は神のようなものである。いくら食生活が多様化したと言っても、おいしく炊きあがった白米をほおばることほどの食の喜びはない。

 それを自ら「単純な喜び」と把握し、それが「私を救う」と客観的に見ている。しかし、いくら客観的に見せかけても、そこからこぼれ出る喜びのリズムがこの一首からは伝わってくるようだ。

 あれこれとややこしい現代でありながら、いやややこしければややこしいほど、こうしてただ炊きたての白米を食べる喜びが際立つ。

 「はえぬき」の特長を知らなくてもブランド米のひとつだとわかればいい。コシヒカリやササニシキなどの超ブランド米でないところも、作者のこだわりが見えておもしろい。