大松 達知


夜半すぎてこころのしまりくるときのこの真顔(まがほ)ひとりわれのみぞ知る

木俣修『呼べば谺』(1964)

 

 リラックスしているといっても、まったく一人でいるときと、そばに誰かがいるときでは、微妙にその度合いは違うだろう。

 電車の中などで知り人に見られていない状況と、暗い夜道を歩いているときでも違うだろう。

 他人であるとか友人であるとか外の人であればなおさらだが、家族であっても、だれかが側にいるときは、まったくのリラックスはありえないはずだ。

 それは、顔面の筋肉の動きを科学的に調べれば、はっきりとするのだろう。

 

 それとは逆に、他人に対しては柔和な表情を見せたり、軽い緊張の顔を見せている人が、かえって、一人だけになったときに、緊張が強まるということがあるのかもしれない。

 (いつもはにこやかな人が、一人でいるときにコワい顔をしていたりする。それは筋肉が緊張しているのか弛緩しているのか?)

 

 この歌は、夜半を過ぎて、おそらく原稿を書くとか、読書をするとか、目標があって一人になっている時間だろう。

 リラックスしてゆくのではなく、緊張して精神が高ぶってゆくときの一人の顔。50代前半の男の顔。(それも厳しい歌柄の木俣の顔。)

 その顔に自覚的であるところが怖い。

 一人でいながらも、第三者の目を意識しているようだ。

 そういう顔は、他者に見られていると言えるのか言えないのか。わからなくなる。