SPのようにキョロキョロしているが僕には守るべきものがない

三田三郎『鬼と踊る』

 

自分がふだんどんな動作をしているのか、これはほんとうに分からない。立ったり歩いたり座ったりという基本的な動作であっても、無意識にオリジナルの動きを炸裂させている場合はあって、誰かに言われてそうなのかとはじめて気づく類のものが自分の動作であるのだと思う。いや、一方では生まれながらに理想的な所作ができてしまっている人もいるはずで、そのなかでもそれを意識できている人、いない人がいる、そういう分類ができるのではないか。掲出歌の「キョロキョロ」はどちらかと言えばオリジナルの動きに分類されるものの、無意識ではない。「キョロキョロ」はきちんと自身で意識されている。オリジナルではあるが、意識もされている。なかなか珍しい例だという気がする。「キョロキョロしている」というひとつの自覚があり、また、「僕には守るべきものがない」というのも自覚のひとつの表明である。だからこの歌の原材料の95パーセントくらいは自覚である。そして残りの5パーセントはSPということになるだろう。面白いのは、自身に対する認識がこれだけきちんとしているのにもかかわらず、SPという他者に対する認識となるととたんにがたがたになっているところで、SPとキョロキョロとはこんなに自然につながることができる言葉ではないはずである。

SPの精神は自身が芯から揺さぶられているキョロキョロの不安とは逆の位置にあるはずだから、「SPのようにキョロキョロしている」はかなりの不協和音を含んだ比喩である。結果、一首全体としては本来正比例であるべき自身への認識と他者への認識の関係がきれいな反比例を描いているといえる。自覚の強さと他者に対する認識の弱さとのコントラストがうつくしいと思えるほどにくっきりしている。意味の上では語弊を恐れずざっくり言えば「ダメなわたしの告白」があり、もう一段抽象化されたところには「ダメなわたしが備えているものすごい自覚力」があり、さらにその上には「ものすごい自覚力に相反する他者への認識の弱さ」がある。この複雑な歪さが人間本来の姿なのだと思わせられて、しばらく立ち止まる。

 

劇薬と同じ名前の助っ人が送りバントの指示に従う

 

 

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