黒瀬 珂瀾


校庭に脱ぎ捨てられたジャージ、靴、夢 一斉に朝になろうか

千葉聡『飛び跳ねる教室』

作者は、どんな時間の校庭を見ているのだろう。「朝になろうか」と呼びかけるのだから、夜明け直前か。この一首だけを読めば、色々な解釈が生まれる。学校に泊まり込んだ翌朝、まだ暗い未明の登校……。だが、一つだけ揺れない視点がある。この校庭に遊び、走り、集う生徒たちへの愛情が、「夢」の一語に込められている。だからやはりこれは、教師の歌だ。

 「先生には名前を呼ばれたくない」と職員室まで言いに来たK

 トイレにはトイレの匂(にお)い その中にさっき泣いてた誰かの匂い

 昨日五本、今日は七本 そうじ後になぜかほうきが増える三組

 「三組」は全国に千くらいある その中でこの三組がベスト

キモいキモいと囃し立てられていた「ちばさと先生」が、教室の生徒たちと一丸となって「何か」を成し遂げるまで。作者が中学校に赴任した6年間を綴ったエッセイと、その折々の短歌186首からなる本書。生徒からの残酷な言葉に疲弊し、空転する授業に辞職を考えながらも、教師として進んでゆく自分を率直に綴っている。歌集と呼ぶべきか少し迷うが、散文の合間に置かれることでかえって、韻文が本来の直裁な力を発揮しているように思えるから不思議だ。

掲出歌に戻ろう。未明の校庭には作者以外、もちろん誰もいない。そこに放り出されたジャージと靴を見つけ、拾っている。なぜこんなところにジャージと靴が。持ち主が投げ捨てたのだとしたら、その生徒には、自暴自棄や無気力を呼ぶ苦しみがあるのかもしれない。持ち主以外が捨てたのなら、陰湿ないじめがあるのかもしれない。その実情はわからないが、先生は淡々とジャージと靴を拾う。誰かが取り落としそうになっている「夢」と一緒に。どんなに苦しいことがあっても、生徒たちの未来を信じて、「夢」を拾い、まぶしい朝に届ける。「一斉に朝になろうか」という呼びかけは、学校に生きる者すべてに託す、作者の願いだ。この純情は、歌以外では表現できない。