黒瀬 珂瀾


歌棄(うたすつ)とう地名を知りぬ歌棄の地には如何なる月さしのぼる

西橋美保『漂砂鉱床』

歌棄村はかつて、北海道の後志(しりべ)にあったが、現在は寿都町(すっつちょう)に再編された。もともとその名前は、アイヌ語で「オタ・シュツ」。その意味はWikipediaによると、「浜の草原がつきて砂原にかかるあたり」だという。知里幸惠の編訳『アイヌ神謡集』にもオタシュツ村の村人と海の神についての神謡が残されているので、由緒ある地名なのだろう。現在も「歌棄」の地名は残されている。

その地名に「歌棄」という文字を当てたのは誰だろう。当時の松前藩の役人だろうが、ずいぶんと風流な武士もいたものだ。まるで、歌の美を追い求めながらさまよった歌人が、最後に行き着く場所のよう。この北の果て、草原が砂原に変わり、荒海をまぢかにする地は、歌を棄てるにふさわしい。

作者はもしかしたら、歌を続けるべきか止めるべきか迷っていたのかもしれない。そんな折、北の地の歌棄を知った。歌人の連想は、その地に登る月へと至る。そして、その月を見てはいけないことを本能的に悟った。

歌棄の月のうつくしさは、その地名の響きも含んでの美しさである。その美しさに心をゆだねることは、作者にとって、歌を棄てる運命を選ぶことに等しいのだろう。だからこの歌の中では、その月の姿を決して具体化しない。「如何なる月」かと思いめぐらせ、問いかけるだけである。そうして、決して見ることの無い「歌棄の月」を問い続けることで、作者は歌を心に宿し続けるのだろう。

さて、歌棄の近くには、「歌才」という地名もある。さしずめこちらは、一度歌を棄てた者が、再び歌の才を信じ直す場所だろうか。歌才にはどんな月が昇るのだろう。