ひるがほのかなたから来る風鳴りが銀の車輛となる夏の駅

小島ゆかり『憂春』(2005年)

ひるがおの花がかすかに揺れて、風の音がする。みるみるうちに風が近づき、駅のホームに銀色の車輛が到着した。ひるがおの咲く夏のころ、駅のホームで電車を待ち、電車の到着する様子を詠っているのだが、「風鳴りが銀の車輛となる」というところが抜群に面白い。風がそのまま銀の車輛に化けたかのような印象がある。

 

少し考えれば、辺りにひるがおが咲いていて、ひるがおの揺れからやがて駅に滑り込んでくるだろう電車の風を感じ、それから間もなく電車がくる、というなんでもない風景を詠んでいることが分かる。しかし、「風鳴りが車輛になった」という、感じ方をずばりと抽出した言い方が、風と電車の交感といおうか、電車の生き生きとした姿を思いがけなくもつくりだす。

 

小島ゆかりの歌には、「風鳴りと電車」のように、自然と人工物が融け合うような歌がときどきみられる。人工物があたかも自然物のごとく呼吸している、変わり身の歌とでもいおうか。

 

    この町を愛しすぎたる人ならんバス停として今日も立ちをり

 

同じく『憂春』から。バス停がある。同じ場所に来る日も来る日も、もう何年も、住人の知らないほどの昔から。ずっと同じ場所に立ち続けるバス停の宿命とはいえ、その律儀な佇まいに人間くささを感じとったのだろう。「この町を愛しすぎた人」がバス停になったのだろうと喩える。「ようだ」「ごとし」といった喩えの助動詞を使わず、「これから比喩しますよ」という構えも一切ない文体が、ものの見方、感じ方の鮮度を保ち、読者に驚きを生むのだ。

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