傷あらぬ葩(はなびら)のごとかばはるるうらがなしさに妊(みごも)りてをり

稲葉京子『ガラスの檻』

 

傷のないはなびら。風雨に晒される野に咲く花ではなく、大切に手入れされ、丹精込めて育てられた、例えば薔薇園の薔薇たち。虫もつかず、乾きに苦しむこともなく、薄く可憐な花びらを咲かせている。そんな花びらのように庇われて生きることが、うら悲しいという。家の奥で大切にされ、危うい社会などには、一歩も出歩くことはない。夫から愛され、護られ、子どもを妊る。そのことが、悲しみを呼ぶ。

 

「うらがなしさに妊りてをり」という表現が、繊細な感情を表しているように思う。うら悲しい気持ちのままで妊った、という意味だろうが、「に」の微妙な使い方により、うら悲しさが募るあまりに妊った、というニュアンスもこの歌には生まれてくるように思う。作者が妊ったのは、子供なのだろうか、それとも、うら悲しさなのだろうか。

 

  この愛をこぼたば帰るところなき空遮りて春の鳩ゆく
  君のみに似る子を生まむ見知らざる人あふれ住む町の片隅
  虹顕つと呼び交はしをりいつよりかにくしみ合ふもながき一人と

 

現在、(一応建前では)女性が社会に出ることを妨げるものはない。だが、稲葉が若いころは違ったのだろう。妻、主婦というポジションが、夫に愛され、護られることを甘受して生まれた時代。もちろん本人が望んだあり方ではあるが、それは、己の力を奪われることでもある。だから稲葉は、自らの姿を「葩(はなびら)」と詠う。ナルシスティックなように見えてこれは、「愛される立場を選んだ己」を見つめる、冷徹な視線の表れなのだ。

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