河二つぶつかり合えば冬近き朝々を靄街深く来る

清原日出夫『流氷の季』(1964年)

「何処までもデモにつきまとうポリスカ-なかに無電に話す口見ゆ」など、安保闘争のデモの歌に言及されることの方が多い清原日出夫だが、『流氷の季』では、故郷の北海道・根室地方の自然を歌った歌に、さびしい叙情が凝縮されていて心にのこる。

掲出歌は、帰省に取材する歌と学生運動の歌を織り交ぜた「生き継ぐもの」という一連の冒頭におかれている。かならずしも故郷の河を歌っているとは限らないが、「ぶつかり合えば」は、やはり寒さのきびしい土地を肌で知っている人ならではの言葉ではないか。河と河が合流するという意味のみならず、冬の近づくころの冷たい水がぶつかり合う様子まで伝えているように思う。1首を読んだときに、読者は朝靄の流れこんでくる街を思い浮かべるはずだ。つまり、河は目の前にはない。靄に包まれながら、街の付近にあって靄のもととなっている河に思いをいたらせる。「街深く来る」の「深く」が、街と河との距離とつながりをさりげなく伝えているのだ。街と河と靄を深く知り、作者が土地とともに呼吸しているように感じられる歌である。

   産み月に入りし若牛立ちながら涙溜めいること多くなる

   湾のなか氷に穴を開けて釣る一人を点景として海暮れる

  地平より届く夕光雪の野に真昼気付かぬほどのおうとつ

  新雪(あらゆき)に脚切りし馬の鮮血が続けり椴の森内深く

これらもいいと思う。『流氷の季』は作者が21歳から26歳の間に作った歌が収録されている。これほど若くして、故郷の自然と向き合い、そこに叙情を見いだし、歌うべき形に至っていることに驚く。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です