生沼義朗『水は襤褸に』(2002年)
なにか鈍い衝撃のある歌だ。じわっと利いてくるボディーブローというのか。確かに、ふだんハムを豚肉として意識することはあまりない。「ももいろの塊」と表されている通り、ハムははじめからハムとして目の前にある。その人工的な形から、ふとあの「豚」に思いあたった時、作者も衝撃を受けたのではないか。日常の秩序になにくわぬ顔でなじんでいた事物が、不意にあらぶる命をあらわにして認識に逆襲をしかける。
いちにちを終えたるのちのわが脛は生木の罅ぜるごとき音する
ゆるやかに失調は来て口内炎は墓(つか)のごとくに現れており
ただひとこと「あっ」と言いさしそのままに止んでしまいぬ館内放送
疲れた脛に作者が聞いた音、墓のように確かにある口内炎、「あっ」という声だけを残してやみ、機能しなかった館内放送。いずれも日常の秩序の破れであり、生な形で現れた世界の本性である。こういうものを捉えるときに作者の歌はぎらっとした生命力を見せる。