永田和宏『黄金分割』(1977)
乳鉢は固体を磨り潰すのに用いるもので、化学や生物系の実験ではお馴染みの道具。
「硫酸銅」 と「菫」と「血」は、一見、科学実験に使いそうなものを何気なく列挙しているように見えるが、硫酸銅(Ⅱ)の結晶の青→磨り潰した菫の深い紫→血の赤と、色相が鮮やかに移り変わっていくのが美しい。無機物から植物、動物の一部と、次第に生々しさを帯びていくのも何やら意味深である。
たとえばメスシリンダーやガスバーナーや薬包紙など、シャープな姿かたちをした実験器具たちの中に、まっ白くてころんとした乳鉢がまざっていると、何とはなしに可愛らしい感じがする。「やさしい窪み」とは言い得て妙だ。加えて、その窪みから語り手が「乳鉢」本来の用途――乳児に与えるために食べ物を磨り潰すこと――を想起していると解釈するのは、決して深読みではないだろう。
同じ一連に、
川岸の処女の胸にくちづけて乳飲みしとう釈迦を思えり
が置かれているのも、偶然とは思えない。
ラボの中で毒性の無機物を磨り潰すイメージと、乳児に離乳食を与えるイメージ。両者が重ね合わせられることによって、乳鉢の中で潰される菫や血も、何か痛ましさをもって迫ってくる。科学者の冷静な視点と、人の親としての(あるいは人の子としての)生な感情とが、奇妙に入り混じった一首と思う。
紫外線ランプすみれの花のごとともりて春の夜の無菌室
採血の終わりしウサギが量感のほのぼのとして窓辺にありし
これらの歌の場合も、無菌室の紫外線ランプ←→菫の花、実験動物としてのウサギ←→ほのぼのとした可愛い生き物としてのウサギという対比、そして、そこに込められた語り手の微妙な葛藤が読みどころといえよう。