魚村 晋太郎


もっともっとさみしくなるとガラス窓にあじさいは頭を押しつけてくる

松野広美『二月の兎』(2009年)

アジサイの学名はHydrangea(ハイドランジア)で水の容器の意味。
学名ではないが、江戸時代に日本に滞在した医師で博物学者のシーボルトが日本のアジサイを西洋に紹介したとき、自分の愛妾の名「お滝さん」に因んでオタクサと命名したエピソードはよく知られている。
アジサイは同じ品種でも、土壌の性質によって花の色合いが変わる。
俳句では七変化と呼ばれることもあり、咲き始めは白っぽく、やがて濃い青紫色になる、と信じている人もいるが、これはもともと日本にあった園芸種の性質で、いま一般的に植えられるセイヨウアジサイには時間的な色の変化はないらしい。

一首の上句には不思議な雰囲気がある。
どう読んだらいいのか、つかのま立ち止まったが、「この先、もっともっとさみしくなるんだよ」と主人公に囁きかけるように、アジサイが人の頭のような花のかたまりを窓に押しつけてきた、というふうに読んだ。
もちろん、その囁きは、実際には主人公の内面の声である。

主人公をそんな思いにさせたのは、どんな状況なのか。
アジサイの花は梅雨の時期を過ぎても、多くは花を落とさず、放っておくと盛夏を過ぎるころまで、少しずつ水気を失いながら枝先についている。
主人公のさみしさが、人生のなかの長い壮年の時間にかかわるだろうことは、一首だけを読んでもうがい知ることができる。

成長するにつれてコミュニケーションがとりづらくなり、遠からず自分のもとから巣立ってゆくわが子。変わってゆく家族の姿。
風に揺さぶられるアジサイの頭(ず)は、小さくて素直だったころのわが子のようでもあり、さみしい未来を告げに来た精霊のようでもあり、すこし疲れた自分自身のようでもある。
アジサイの質感は、主人公の思いを映す多面的な鏡のように一首によりそっている。
そして、一首の向こうには、樹樹をはぐくむ風雨のような、壮年の女性の清清とした覚悟もまた感じられるのである。