ともにゐてかなしいときにかなしいと言はせて呉れるひとはゐますか

資延英樹『抒情装置』(2005年)

そういえば、ほんとうにかなしいときに、そのままの気持ちを誰かに伝えることはあまりない。そのかなしさが深いほど言葉にするのは難しい。ひとりで立ちつくしているだけになる。
言葉にすることでかなしみが顕在化したり、それによって、われを忘れて泣いたりするのがおそろしいせいもある。

はたして、「かなしいときにかなしいと」かなしませてくれるひとが、そんなに必要だろうか。
そんなことも考える。
もちろんひとは、すべてを曝け出して泣いたり、慰めが必要なときもある。
けれど、かなしいと言うことで、堰き止められていた感情があふれてしまい、かえってつらくなってしまうこともあるだろう。

それよりも、「ともにゐて」くれるほうが大切なのではないかとおもう。
なにもいわずに、なにもかもをゆるしてくれる存在。
だまって腕をかしてくれるひと。
いるだろうか。そんなひとが。なんとなく途方にくれてしまう。
この歌の結句の「ゐますか」という問いかけには、そんなあてどなさも感じる。

こいびとには「かなしい」と伝えられない、いや、伝えないほうがいい。
こいびとには、わたしのかなしさの源泉を探しあててほしい。

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