石川 美南


エンターキー押して改行のみをせしごとき一日(ひとひ)の果ての満月

大塚寅彦『夢何有郷』(2011)

 
一行たりとも書きたくないし書けそうにない、という気分に陥ってしまうことはしばしばあって、たとえば昨日今日はそういう感じで内心鬱々としていた(出ました、更新の遅れた言い訳)。一応さっきからずっとパソコンの前には座っているのだが、文章が一向にまとまっていかない。気がつくと、好きなミュージシャンの新譜が完成していないかチェックしたり(完成してなかった)、秋の短歌合宿の細かい日程表を作り始めたり(別に今日そこまでやらなくても良かった)、とりとめのない休日を過ごしてしまっているのである。
 
さて、これを読んでいる人には今さら解説する必要もないと思うが、キーボードのエンターキーには、大抵「入力内容の確定」と「改行」の、両方の役割を持たせてある。
 
語り手は、何事も「確定」させることができず、真っ白な文書に延々と「改行」記号を入れていくだけの一日を過ごしてしまった。文字通り「文章が書き進められない」ときだけでなく、無為に過ごしてしまった一日の比喩としても、共感できる表現だ。まっさらな一日を照らし出す明るい満月は、語り手にとって、途方もなく遠いもののように思われたに違いない。

 

  蝶番とふ蝶二つ永久(とこしへ)に飛び立ち得ずて日々軋みあふ

  果汁もて追伸書かば燃やさるるつかのまのみを顕(た)つか言葉は

 

「蝶番」は、蝶の羽のかたちに似ているからそのように名付けられた訳だが、本物の蝶とは違って、ひとたび取り付けられれば二度と飛び立つことはできず、同じところをきしきしと回り続けるばかり。
 
果汁で書かれた追伸の文字は目に見えず、メッセージを受け取った相手が手紙を焼き捨てる瞬間、あぶり出されてまざまざと浮かび上がる。黒いインクで堂々と書くことのできない追伸とは、叶わぬ愛を告げるものなのだろうか。決して読まれることのない文字の哀しみに寄り添い、それが燃え上がる最後の一瞬の輝きを夢想する、絶望すれすれの美意識が印象的だ。