魚村 晋太郎


メモ用紙置きて去りにし一人居て朝顔の花に載るほどの文字

棚木恒寿『天の腕』(2006年)

朝顔の漢名は牽牛、種は牽牛子と呼ばれ、日本には遣唐使のころ薬草として渡来した。
牽牛の名の由来は、薬草として珍重されたため、牛を対価に求めたからとか、贈られたひとが牛を引いて礼に行ったからとか言われる。
七夕伝説の彦星の漢名が牽牛であるため、七夕とも結び付けられ、有名な入谷の朝顔市は七夕の前後の三日間に開催されている。
旧暦の七月は初秋なので、季語としては七夕も朝顔も秋季、朝顔市は夏季である。

メモ用紙を置いていったひとがいた。
席をはずしている間に置かれたものなのかも知れないが、目の前で何も言わず、メモ書きだけを置いていった、そう読んだほうが面白い気がする。
歌集から察するに、主人公は教師らしい。メモを置いていったのは、女生徒だろうか。

朝顔の花に載るほどの文字、という下句におもむきがある。
メモ用紙が丁度ひらいた朝顔の花くらいの大きさだった。
書いた字が見えないようにメモ用紙を折りたたんで渡すことがある。ひらくと折り目の具合が、ちょっと朝顔のようにも見える。そんな感じだったのかも知れない。
「プリント忘れました」とか、きっと口に出していえば一言ですむような、何でもない内容だったのだろう。
花に載るほどの文字、とは直接には文字や用紙のサイズからの連想かも知れないが、その内容や自分とのやりとりの淡い感じが表れている。

そしてなにより、メモを置いていった「一人」に、主人公は朝顔にかよう印象を抱いたのだろう。
重層的、というと大げさだが、短歌に使われる言葉は、一首のなかで和音のようにひびきあうものだ。
朝顔のような少女、なんていまどきいないだろうけれど、朝顔っぽくない少女が、朝顔にならべたくなるような一瞬のおももちを見せた。
大きな感動でないところがいい。主人公のこころにもほんの一瞬の朝風がたったのである。