吉野 裕之


西日カッと部屋にさしこみあらあらと一枚の壁起ちあがる

山崎 孝『やどかり』(1990年)

 

6・7・5・5・7という破調の作品。四句、五句は、7・5と理解するほうが一般的かもしれないが、できれば5・7と受け取りたい。

鮮やかな光景である。西日がカッと部屋にさしこみ、あらあらと一枚の壁が起ちあがる。散文に置き換えても、ほとんど音数は増えない。それだけシンプルな光景ということだ。しかし、作品としては深い。「あらあらと」は「荒々と」だろう。壁が、激しく、あるいは乱暴に起ちあがる。「一枚の」は枚数をいっているのではなく、(眼前の)壁を強調しているのだろう。実際の光景は、壁に当たる西日の荒々しい様子。その荒々しさから、こうしたイメージが生まれたのだ。

「一枚の壁起ちあがる」。7・5ではなく、5・7と受け取りたい、と書いた。意味と律のずれが、西日の荒々しさを浮き立たせる。そう思うのだ。

 

引潮にはやまる流れ川水のさきを争う声たててゆく

曇天にけむりの主流たちのぼり力のなきが下枝にからむ

足跡のみだるる霜の道あればみだるる中にまじりてあゆむ

洗剤の水に脂の庖丁を沈めてふかく眠れる家族

ほどほどの酒は薬ぞと言いきかせほどほどという難題を負う

一いろに物象沈む暮れざまをまなこにたたみカーテンを引く

一枚の新聞紙なりふしぎなる翼を張りて川の上行く

 

一冊には、「天丼の海老のしっぽをかたわらに除けておきしが食べてしまえり」といったユーモラスな作品もすくなくない。しかし、山崎の本質は、こうした作品に現れているように思う。厳しい作品たちだ。