江戸 雪


夏ゼミの鳴き声達者七つ時うちで育ちし蟬と思えば

隈元榮子『なんでもない日』(2009年)

蟬は蟬でも「夏ゼミ」と聞くと、暑い盛りに鳴く元気のよい蟬をおもいうかべる。すこし気温の低い朝夕に鳴く蜩ではなくて、ニイニイゼミやクマゼミだろうか。
気の遠くなるような暑さのなか、その声を聞きながら昼寝をしたりして、目覚めたときに聞こえるあの声。

「七つ時」とは旧い言葉で、昔は時刻をこんなふうに呼んだ。
辞書でしらべると「七つ時」は、寅の刻(午前4時頃)および申の刻(午後4時頃)だそうで、この歌ではどちらだろう。
「夏ゼミの鳴き声」とあるから、空気のすこし冷えた午前4時ではなさそう。それなら午後4時。

暑い暑い昼を過ぎて、庭の木では蟬が力づよく鳴いている。
この蟬は、うちの庭の土のなかで羽化のときをじっと待っていて、いまこうして鳴いているのだ。
そうおもうと、少々けたたましい声も身近で親しみのあるものとして受け入れられる。
「うち」の「蟬」なんだから、と。

こうしてすぐそばで鳴く蟬の生命をおもい、そしてまた自分に流れている時間をおもう。
過去、現在、未来。すべてが、たしかに自分のなかにある実感。
「鳴き声達者」という言葉の歯切れのよさがまた、充足した内面を感じさせる。