母が恋い焦がれて食べずに逝きたりし大福餅は手のひらのうえ

『感傷生活』佐伯裕子

 死に近き母が、「大福餅」を食べたいとしきりに言った。しかし、そう思うだけでもはや食べる力はなかったのだろう。作者はいま大福餅を「手のひら」にのせながら、その母のことを思っている。肉親とはいえ、胸の内にはあまり触れ合わず生きていることが多い。それゆえ大福餅が食べたいという母に、作者は「えっ」と思っただけで、それ以上のことは考えなかったのかもしれない。いま、作者の手の上の大福餅は、ただふくふくとやわらかく、同時に何か少しユーモラスでもある。美しい母であったと作者から聞いたことがあるが、その美しい人が大福餅に「恋い焦がれて」いるというのである。その可笑しい感じの向こうには、だが、母の姿が確かにある。さりげないエピソードながら、人生の機微が、消しがたい哀しさ、淋しさとして伝わってくる歌である。二〇一八年刊行の第八歌集。