みづからの闇に手折りし水仙の苦きことはた甘きことなど言ふなたやすく

鎌倉千和『ゆふぐれの背にまたがりて』
(不識書院、1978)

歌集冒頭から2首目の歌。「みづからの闇」というそのまっ暗な心の中に、白く光りながら浮かびあがる水仙の、手折られる瞬間がはっきりと見えるようだ。人知れず涙をのみあきらめたはずのことを、まるで酔ったようにその涙の幸や不幸を人に語るな、とこの歌は言っているようである。が、一方では、その苦さ甘さをけっして「たやすい」方法ではなく独白するということが、この『ゆうぐれの背にまたがりて』という歌集の大きなテーマにもなっている。

放恣なるおもひ告げむと逢ふ闇に緋バラ紅バラ咲きてあふるる
不可思議なるざせつとは少年 風ふけばかぜのさまにてなれ吹かれゐる

主人公が暗い心中で手折った水仙の背後には、歌集の中でときに「少年」とも呼ばれる男性への想いがあるらしい。ここに引いた一首目の方には、その「おもひ」を告げようと落ち合った夜の庭園の風景が詠まれていると見ることもできようが、掲出歌の印象が残っていれば、むしろその相手に想いを告げようとたくらむ心の内の描写した、ととるほうが自然であろうとも思う。自分の恋心を放恣(=勝手きまま)と断じる歌もめずらしいが、それを告げようとする瞬間の心の内に咲くのが水仙どころか、満開の薔薇だというのは、その花の見事さというより、恋に夢中になる自分を、きわめて心の冷めたもう一人の自分があざけっているような印象がある。

球を蹴り球によりそひ野にあそぶ汝の背にからんと陽のしぶきゐる
ずぶぬれの夏シャツ胸に貼りつきてがもつ闇を透かせてゐたり
筋つよくあなたが走る炎天の翳りとなりてわかきあなたが

闇を中心に描かれる主人公の心理に対して、〈汝〉は、まるで水しぶきのような陽の光を常に浴びながら、まるで躍動的に走り回っている。目を細めて見つめる主人公の顔つきが見えてきそうなほどだが、一方では、主人公に見られ続けるうち〈汝〉もだんだんと闇を帯びていく。一心に強い陽を浴びているだけに、その影も濃く出るようだ。

身にあはくひかりまとへばあばかるる無数の悲傷われをゆすりぬ

やがて、掲出歌と対になるようなこの歌が現れる。あわい「ひかり」の光源は〈汝〉であろう。彼にも次第に影がさしたように、主人公もまた光を身にまといながら痛々しい傷をさらしている。