利己的な点すこしある友人の話題が靴下(ストッキング) のことに戻る

安藤美保『水の粒子』(ながらみ書房:1992年)


(☜1月27日(金)「靴下はなんのために (4)」より続く)

 

◆ 靴下はなんのために (5)

 

何人か集まって楽しく話をしている場面だろうか。自身のことを中心に考えがちな友人の話が、またもとに戻ることにうんざりしている様子が伺える。
 

まず、「利己的」という堅めの言葉が面白い。字義的には自身の利益を追求しがち、という意味だろうが、普段のちょっとした所作から、それこそ結局は自分の話したいことばかりを話す性格までを含んでいるのだろう。
 

やはり注目したいのは、「靴下」という語に「ストッキング」とルビを振っている点だ。下の句は「わだいがすとっきんぐ/のことにもどる」と切って読めばいいのだろうが四句目が9音と大きく余る。そのまま「くつした」と読ませれば8音となり、まだ収まりがいいはずである。そもそも、「靴下」と「ストッキング」は、近しいものであるが、違うものを指しているように思われる。「靴下」を英語で言えば、と聞かれたら「ソックス」と答える人のほうがほとんどではないだろうか。
 

おそらく、友人は「ストッキング」の話を繰り返しているのだ。それにうんざりして、少しばかりの皮肉を込めて「靴下」と表現する。なんだかんだ言って「靴下」の話しかしてないよね、と。ルビとして相対的に小さい文字で表示される「ストッキング」に対して、それを打ち消すかのようにどんと大きい文字で視覚に飛び込んでくる「靴下」がなんとも面白い。
 

学生生活を舞台としていることもあり、安藤美保の『水の粒子』には「友」を詠んだ歌が多く登場する。いくつか引いておきたい。
 

線香花火凍らせしごと泣く友を両手のなかにかばいていたり  「ぽんかん」
両膝をきっちり合わせて語る友卒論は遊女評判記という  「手の形」
髪長い友に続いて床下に潜りし夢に手足をひたす  「神田川」
金平糖の淡きぎざぎざ含みつつ海外就職を友は告げたり  「返信」

 

掲出歌と同じく、友人たちのさりげない仕草や行動が一首の印象を深くする。自身を囲う人々を描くことで、自身が何であるかを探し求めるかのようだ。
 

年齢を重ねるにつれて、手放しで「友人」と呼べる存在は減っていく。忙しない生活のなかでの会える時間という意味でも、絶対数や関係性の意味でもだ。歌の題材は常に自由であるはずか、生きている時間の感覚は気がつけば表現にあらわれてくる、と自分の歌を振り返ってみる。
 

5回を通して紹介した歌において、「靴下」は常に恋愛や友人関係を含めた青春の空気の中にあった。
 

その一方で、青春からは遠く離れ、日々の疲れの滲む「靴下」もあるようだ――
 

(☞次回、2月1日(水)「靴下はなんのために (6)」へと続く)