光森裕樹


たまごっち・オスっち・メスっち・てんしっち 育児・生死(しゃうじ)も手のひらに載る

川明『Cyber-Affections』(本阿弥書店:1998年)


(☜2月15日(水)「ゲーム機の世代スイッチ (2)」より続く)

 

◆ ゲーム機の世代スイッチ (3)

 

バンダイの携帯ゲーム機「たまごっち」の登場は1996年。翌年には、子供だけにはとどまらない大きなブームを迎える。その後、規模は異なるものの数度のブームを迎えているため、平成生まれの世代にも説明なく通じるという意味では稀有なゲーム機と言えるかもしれない。
 

卵型の小さなデバイスにモノクロ液晶(当初)のチープな造りのゲーム機ではあるが、画面内のペットはこまめに世話をしなければ、あっけなく死んでしまう。そのあまりのあっけなさに、子供たちが生き物の生死を軽んじるようになってしまうのでは、という声もあったように記憶している。ゲームと現実の区別云々、というのは今でも議論されるテーマである。
 

掲出歌は、第一次ブームのなかで「オスっち」「メスっち」「てんしっち」のシリーズが出た頃の歌だろう。同名の商品名を連呼するテレビCMを覚えておられる方もいるかもしれない。「育児・生死も手のひらに載る」という表現は、そのゲームの在り方を強く批難しているというよりは、どこか悟りを開いたような語り口調である。「生死」を「しゃうじ」と読ませる点と、孫悟空の話を想起させる「手のひら」のあたりがそう感じさせるのだろう。手のひらの上で生まれ、手のひらから一生出ることはない「たまごっち」の存在は、人間とどれだけ違うものなのだろうか。
 

思えば、この「手のひらに載る」という点が本ゲーム機の最大のポイントであった。携帯ゲーム機といえば、任天堂の「ゲームボーイ」が代表格であるが、こちらは両手で包むように持たなければならない。手のひらに載る「たまごっち」は学校や職場への持ち込みは用意であった。さっとお世話ができて、さっと隠せるわけである。
 

「たまごっち」は2004年に復活して第二次ブームを迎えるが、その頃の作品と思われるものが宮地しもんの『f字孔』(ふらんす堂:2014年)にあった。おそらくは仕事の関係で、夫がしばらく家を空けることになる場面である。
 

母さんを頼むと夫は子に言いぬ子は犬に言う同じ言葉を  「たまごっち」
「たのむよ」のメモ添えられてたまごっち炬燵の上に6歳90グラム
思い出となることもなくたまごっち死にてひととき話題となりぬ

 
 

あいかわらず「たまごっち」はあっけなく死ぬわけであるが、「思い出となることもなく」という点は、このゲーム機の変わることない本質を突いているように思われる。
 
 

(☞次回、2月20日(月)「ゲーム機の世代スイッチ (4)」へと続く)