光森裕樹


下じきをくにゃりくにゃりと鳴らしつつ前世の記憶よみがえる夜

小島なお『乱反射』(角川書店:2007年)


(☜6月21(水)「生きると死ぬ (8)」より続く)

 

◆ 生きると死ぬ (9)

 

下敷きの縁あたりを持って、波打つようにゆらすと確かに「くにゃりくにゃり」としか言いようのない変な音がする。下敷きが波打つ様子と、その変な音はまるで時空をゆがめるかのようで、なるほど前世の記憶がはっきりとよみがえってくるような感じがするもの分かる。
 

一首をなんどか読み返しているうちに気がついたのだが、「下じき」と「前世の記憶」は、その波打つ様子と変な音のみに結ばれているのではないようだ。
 

例えば帳面に字を書くときに下敷きを使うが、その名のごとく紙の下に敷くものである。使うときには見えないが確かにそこ(底?)にある、という下敷きの在り方は、考えてみれば面白く、「前世の記憶」の在り方に通じていると言えるのではないだろうか。下敷きを手にするという行為は、前世の記憶を掴むということを象徴的に表している。
 

私たちはなぜか、おとなになると下敷きをほとんど使わなくなる。その点から、この一首のみで、主体が若い学生の立場にあることが分かるようになっている。宿題か受験勉強か
机にむかうのにも飽きて、前世の記憶にこころを遊ばせる様は微笑ましく、自分自身にもそのような夜があったような気になってくる。
 

前世とまではいかなくとも、短歌が読者にもたらす〈他人の記憶〉というものが、たしかにあるのではないだろうか。
 
 

(☞次回、6月26(月)「生きると死ぬ (10)」へと続く)